こんにちは。

昨年、イギリスの会議に出席しました。
とある雑誌に掲載した報告を、やや修正して報告します。

女性が生きのびられるために世界ができること
イギリスでのWomen Deliver会議及び
安全な妊娠中絶へのアクセスを実現する世界会議に参加して

はじめに
 この原稿を読んでいただいているその瞬間にも、世界中で1分間に1人の女性が、妊娠・出産に関連した原因で死亡(妊産婦死亡)し続けている。その中で、安全な人工妊娠中絶(以下単に、「妊娠中絶」という)にアクセスできないために15分に2人の女性が死亡し続けている。そして、彼女たちの死のほとんど全ては、防ぎうるものであった。女性が人として生きることが軽視され、時には法律によって否定される現状に対して、従来の「保健」という枠組みだけではなく、明確に「人権」という視点を打ち立てて立ち向かう必要がある。この当たり前のことが、今回イギリスのロンドンで開催された、Women Deliver Global Conference(Women Deliver会議)とGlobal Safe Abortion Conference 2007(安全な妊娠中絶へのアクセスを実現するための世界会議)という二つの国際会議で改めて強調された。
 既に1948年の国連の世界人権宣言では生命・身体の安全の権利が謳われ、プライバシーの権利も国際合意として認められた。生命への権利は「市民的及び」(自由権規約)6条でも確認された。健康への権利は社会権規約12条などで保障され、妊産婦死亡率を低下させるための対策を各国政府に求めている。しかし、この女性が生きるという当然の人権の享受は長い間阻まれ続けてきた。多くの政府や資金提供者が、妊産婦死亡、とりわけ安全な妊娠中絶にアクセスできないという課題を軽視していたこと、これらの課題の根深さを軽視してきたこともその原因である。
そればかりか、女性の生命や健康への権利を奪う流れさえも存在する。そのひとつとして懸念されるのは、女性の、人間としての尊厳を否定し固定的役割を押し付ける国際政治の流れと人権に配慮を欠いた新自由主義・グローバリゼーションの流れである。1980年代には、世界的な構造調整プログラムの流行によって、多くの開発途上国の医療・保健システムが、過重な対外債務の犠牲になって崩壊した。また、1994年には国際人口開発会議(カイロ会議)での行動計画が採択され、女性の性と生殖の健康/権利(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ、Reproductive Health / Rights)が国際社会の合意となったにもかかわらず、一部の宗教原理主義勢力の抵抗にあった。その後の1995年第4回世界女性会議(北京会議、「北京行動綱領」を採択)や「女性2000年会議」(「北京+5」)でも宗教勢力の抵抗が強まり、リプロダクティブ・ヘルス/ライツを女性の権利として確認することには成功したものの、「女性2000年会議」では妊娠中絶の権利を完全に合意することはできず、むしろ国際合意としては後退しかけている。さらに、現・ブッシュ政権になってからは、合州国政府がグローバル・ギャグ・ルールの実施、前述の国際人口開発会議の行動計画や北京行動綱領の妊娠中絶の条項を制限する修正を試みることを覆そうという動きなどをはじめとする、女性の健康と人権について後ろ向きな政策方針によって、むしろ後退しているとさえ言える。ちなみに、グローバル・ギャグ・ルールとは、合州国政府が合州国の資金援助を受けている組織に対し、自己資金であっても妊娠中絶に関する情報やサービス、ケアを使うことを認めず、妊娠中絶について話し合うことも安全でない妊娠中絶を批判することも禁止するというルールである。
今回の会議に参加して残念に思ったことは、日本から人権関係の専門者の参加が少なかったことである。

1 Women Deliver会議について
イギリスのロンドンで10月18日から20日まで開催されたWomen Deliver会議は、妊産婦の健康促進、妊産婦死亡の削減などを目的に国際社会が決意を新たにする会議であった。100以上の国から約2000人が参加した。この会議の主催者は、世界保健機関(WHO)や国連人口基金UNFPA)などこの分野に強い影響力を有する国際機関などである。
防ぐことが可能であるにもかかわらず不当にも高い妊産婦死亡率に対して、既に20年も以前の1987年には、このような国際機関が集まり「Safe Motherhood Initiative」が開始された。その後、1994年の国際人口開発会議の行動計画では、妊産婦の罹病率と死亡率の急速かつ大幅な引下げ、先進国と途上国の格差の是正、安全でない妊娠中絶による死亡と罹病の大幅な削減が公約された。また、2000年を記念して合意された、国連のミレニアム開発目標では、世界の貧困削減のために2015年までに世界が達成を目指す8つの目標とその目標を達成するためのターゲットと指標を定めた。その8つの目標の一つに「妊産婦の健康改善」が掲げられており、具体的なターゲットとしては、「2015年までに妊産婦の死亡率を1990年の水準から4分の3減少させる」ことが掲げられた。
しかし、妊産婦死亡率はこの20年間、ほとんど下がっておらず、とくにいまだに1分あたり1人(年間約53万人)の女性が妊娠・出産を原因として死亡している。1世代で1000万人の女性が死亡していることになる。妊娠・出産を原因とする合併症はその何十倍にも上る。国連の統計によると、アフガニスタンでは6人に1人の女性が妊娠・出産を原因として死亡しているのに対して、スウェーデンでは約3万人に1人という、大きな格差がある。しかも、妊産婦死亡のほとんど大半がいわゆる開発途上国で起きており、しかも低所得国ではこの15年の間に妊産婦死亡率の改善がほとんどなされず、悪化した国もある。この会議で、ある発表者は、途上国で妊娠することは、棺桶の蓋を自分で開けてしまったようなものだと妊産婦死亡の多さとこれをやむを得ないとする社会の風潮の現状を表現した。女性は生きる価値が低いと見られていることが、この不公正の原因である。この不正義を放置することは許されない。人権に普遍性がある以上、文化や宗教を口実にすることも許されない。人を死なせるものは文化や宗教とは呼べない。このような妊産婦の健康改善という課題を人権という視点で明確に確認したのがこの会議の特徴であり、この会議では、「妊産婦死亡と人権についての国際イニシアティブ」が旗揚げされた。人権である以上、国家は実現し保護する義務を負っているのである。妊産婦死亡を人権の視点から位置づけることは近年の傾向であり、国連人権委員会(現人権理事会)の特別報告者ポール・ハント氏らを中心に取り組まれてきた。このイニシアティブにもポール・ハント氏や国連人口基金のトラヤ・オベイド事務局長などが名を連ねている。
Women Deliver会議では、1987年「Safe Motherhood Initiative」から20年経過を期に、国際社会が妊産婦死亡の減少に向けて政治的決意を新たに表明した。この会議期間中、参加国政府や国際機関が、妊娠・出産を原因として女性が死亡しないよう、政治的意志を新たに表現した。開催地のイギリス政府はこの会議で、リプロダクティブ・ヘルス/ライツに取り組む国連人口基金に対する1億ポンドの拠出を宣言した。また、2008年7月には北海道でG8サミットが開催されるが、その開催国である日本政府は、この世界的な保健課題をそのG8サミットの主要議題とすることを宣言した(注1)。政府関係者の会議では、妊産婦の健康改善のためには政治的意志と責任を引き受けることが不可欠であり、具体的には、家族計画を利用しやすくすること、妊娠中絶や思春期の妊娠にまつわるスティグマを減らすこと、手ごろな料金で専門的なケアを利用できることなどを実現することが約束された。発見の遅れ、搬送の遅れ、治療の遅れという3つの遅れへの対応の重要性も確認された。また、妊産婦の健康に焦点を当てた国連特別総会の開催、妊産婦の健康に焦点を当てたファンドの設立、1994年の国際人口開発会議(カイロ会議)、1995年の第4回世界女性会議(北京会議)の公約を実現することなどが呼びかけられた。
 会議のまとめでは、妊産婦死亡を減らすためには、保健部門だけでなく、女性の教育やエンパワーメント、人権など関連する部門との連携・相乗作用を強化すること、包括的なリプロダクティブ・ヘルスサービス、妊娠出産時の熟練したケアの提供、生命に危機を及ぼす合併症に対応できる緊急ケアを重視し、政治的意志と責任が変化をもたらす鍵だと改めて確認された。
妊産婦死亡を防ぐためには課題は大きい。妊産婦の健康増進のためには医療・保健システムの強化も必要である。しかし、それだけでは不充分である。妊産婦の死亡は当たり前という考え方も変えていく必要もある。男性パートナーが女性を病院に行かせない、女性が医療機関を利用する余裕がないなどという現実が世界では珍しくない。女性の教育も女性の労働環境の整備も必要である。また、このような改善は全ての女性に向けられたものでなければならない。各国や国際機関がしたい支援や短期的な成果が見えることだけをしていたのでは根本的な解決にならない。女性差別社会という社会の根本を変えることに手をこまねいていては大きな進歩はありえない。妊産婦死亡は妊娠する女性にしか起こり得ないのであり、これを放置することは明らかな女性差別である。
また、妊産婦の健康は、平和問題とも関連する。紛争下、紛争後に性暴力が起きやすいことは、戦争当事国であった日本は当然自覚しているであろう。性暴力は、望まない妊娠を引き起こす。また、妊産婦死亡を予防するための家族計画、医療サービス、専門者の訓練には費用がかかるが、多くの政府が投入する軍事費予算を削減すれば、その大半がまかなえる。100万米ドル分の避妊具の予算が減少すれば、妊娠中絶が15万件、妊産婦死亡が800件増加してしまう。
ミレニアム開発目標(MDGs)やG8サミットの存在意義について、読者の中にはいろいろご意見はあるだろうが、妊産婦死亡がなくなることに向けて、少しでも前進があればよいと思う。
会議の詳細はhttp://www.womendeliver.org/

2 安全な妊娠中絶へのアクセスを実現するための世界会議について
私は、Women Deliver会議に参加したのち、イギリスのIPPF(国際家族計画連盟)やマリー・ストープス・ハウスなどを訪問し、10月23、24日にはマリー・ストープス・インターナショナル(注2)主催の安全な妊娠中絶へのアクセスを実現するための世界会議に参加した。
この会議は、イギリスでの妊娠中絶合法化40周年を記念して、世界に「安全な妊娠中絶」へのアクセスを保障することを目指して開催された。「安全な妊娠中絶」をテーマとする世界で初めての、記念すべき国際会議であり、世界中から約800名の、女性活動者、人権活動者、健康専門者、政府代表などが参加した。安全でない妊娠中絶は、妊産婦死亡の十数%を占め、年間7万人と推算されている。その96%が途上国で起きている。この安全でない妊娠中絶はもっとも軽視されてきた保健の課題のひとつである。この妊娠中絶という課題は、これまで沈黙を強いられがちな課題であった。
ヨーロッパでは、イギリスの1967年の妊娠中絶合法化を皮切りに、アメリカ合州国でも1973年に妊娠中絶を違法としないという、いわゆるロー判決をはじめとして、多くの地域で妊娠中絶が合法化された。このようにこの40年間で安全な妊娠中絶の機会を保障するための法改革は大きな前進を成し遂げてきた。しかし、主にアフリカでは植民地時代の法の名残で、ラテンアメリカではカトリック支配層の指導によって、同様に中近東ではイスラム教支配層の指導によって、また最近では合州国のグローバル・ギャグ・ルールによって歴史が逆行しており、未だに世界の約3分の1で、妊娠中絶が厳しく禁止され、多くの妊娠中絶した女性が刑罰を科せられている。これらの国では、女性の生命・健康を害する場合や性暴力による妊娠の場合でも、妊娠中絶が禁止されていることが多い。性暴力により妊娠した女性が絶望の淵で自殺することや、あらゆる手段で自らで中絶を試みて死亡する女性が後を絶たない。
この会議の中心課題は、(ミフェプリストンなどの)薬による妊娠中絶、月経吸引法による妊娠中絶を含む安全な妊娠中絶へのアクセスを拡大保障するという課題と、「人権」、人権の視点に立った法的障壁の除去・法改革の展開であった。
法律の範囲内での妊娠中絶のアクセスを保障することは当然の前提でもあり、国際人口開発会議の行動計画でも確認されている。しかし、2006年、ニカラグアでは、妊娠継続が女性の生命を脅かす場合も含めて全面的に妊娠中絶を禁止し、妊娠中絶を重罰の対象とするという法律改悪がなされた。この改悪によって既に数十人の女性が1年間で犠牲になったという人権侵害も報じられている。安全な妊娠中絶が保障されていない国では、富裕層は国外での妊娠中絶を利用できることから、その被害は貧困層に集中しがちである。この会議でもニカラグア情勢についての報告は多かった。その背景には、宗教上層部の価値観の押し付けと、多くの人たちがこのような押し付けが女性の生命・身体を侵害すること見抜いていても反対できないという支配構造が存在する。ある新聞は、このニカラグアで現状について、危険な妊娠をすれば、死か監獄行きか究極の選択であると表現していた。逆に、中絶を合法化した南アフリカでは妊産婦死亡数が大幅に減少した。このような事実を背景に法改革を推進する必要性が確認された。
さらに最貧国では、安全な妊娠中絶へのアクセスを実現するための資金も不足しているが、開発援助や国の予算のなかでも安全な妊娠中絶のために資金を優先的に割り当てるべきと提案された。安全な中絶へのアクセスを実現するということは、安全でない妊娠中絶による妊産婦死亡や障がいを減らすだけでなく、その実現のための1999年国際人口開発会議+5(カイロ+5)で強調された保健人材の育成・確保、保健システムの強化、ジェンダー不平等の是正、人権保障を同時に達成することなしには起こりえず、必然的に妊産婦死亡を大幅に減らすものである。つまり、安全な中絶へのアクセスを保障することは国連ミレニアム開発目標達成への早道である。
この会議では、生命への権利、健康への権利をはじめとして、妊娠中絶の禁止や安全な妊娠中絶が制度的または事実上保障されていないことは基本的人権の侵害であり、このことを人権課題として明言する人が多かった。たとえば、Ipasの代表のElizabeth Maguire氏は会議の冒頭、安全でない妊娠中絶によって絶えず女性が死に、障がいを負い続ける現実は女性の基本的人権の甚だしい侵害であり、緊急の改善が必要であると述べた。「中絶」について、各人それぞれの意見があるであろう。しかし、戸惑い、悲しみの中で妊娠の中絶を選んだ女性に国が刑罰をもって臨むことは不平等であり、不要であり、妊娠中絶を安全な環境でできないことは女性の生きる権利、健康への権利を脅かすに過ぎない。既に自由権規約委員会は、ペルーでの妊娠中絶の規制について性暴力による妊娠の場合も含めて妊娠中絶を厳しく処罰していることが、妊産婦死亡に重要な影響を及ぼしていることを指摘して、このような法規定は生命への権利を保障した自由権規約6条等に違反したものであり、法改正を求めている。
妊娠中絶は、女性にとって精神的・肉体的負担も大きい。妊娠中絶が合法とされ、安全な妊娠中絶にアクセスできることは必要であるが、妊産婦死亡を減らすためには望まない妊娠を防ぐことがもっとも効果的であり、そのためには「家族計画」は費用が小さく効果が大きい。しかし、「家族計画」にさえ、特定の宗教的または道徳的立場から制限をしようという反動がある。2007年にはローマ・カトリック教会の一派の影響により世界銀行の「健康・栄養・人口に関する戦略」から家族計画、リプロダクティブ・ヘルスという言葉が削除されそうになるという危機も生じた。
しかし、1994年の国際人口開発会議では、リプロダクティブ・ヘルス/ライツが、国際合意とされている。これは性と生殖の健康/権利と翻訳されることが多いが、「私のからだは私のもの」と日本の女性運動は翻訳している。女性の身体についての決定権、自律性を、自分の生と性を、女性の手に、という当然のことを世界が再確認したのであった。世界は、反動と闘っており、このリプロダクティブ・ヘルスの重要性を再認識し、今般ミレニアム開発目標のターゲットにもリプロダクティブ・ヘルスへの普遍的アクセスが追加され、家族計画の普及率などが指標とされた。
この会議の主催者は早速に、安全でない妊娠中絶を減少させる行動計画を発表する予定である。今回の会議の開催により、安全な妊娠中絶へのアクセスを実現する活動の流れが加速することを期待する。
会議の詳細はhttp://www.globalsafeabortion.org/index.html

最後に
以上、国際会議の概況と成果を報告したが、日本国内で活動する読者に向けて、上記課題と日本との関連を整理したい。
(1) 日本で起きていることと無関係ではない。
女性の身体が、国家に支配され、男性に支配され、医療機関など専門者に支配され、その結果、女性が自分の生命、身体、健康への権利が軽視されていることは途上国だけでの状況ではなく、多くの先進国にも共通することである。
確かに日本では、経済成長に伴って医療水準が高くなったことや医療保健関係者の努力などによって、現在の妊産婦死亡率は出生10万件当たり6程度である。しかし、アメリカ合州国の妊産婦死亡率が増加傾向にあり、この傾向は日本にとって対岸の火事ではない。既に、日本でも、検診段階からの産科システムの崩壊、地域格差障がい者や外国人への医療現場での差別、そしてそれに追い討ちをかける女性に固定的な役割を押し付ける一部の反対勢力の動きが起きている。日本国内で起きた妊娠した女性が複数の病院から受け入れ拒否をされた事案はその兆しとも受け取れる。
ご存知のように、日本は、堕胎罪(刑法212条以下)が存在し、母体保護法によって経済的理由を原因とする妊娠中絶は合法とされるものの、純粋に女性の意思だけでは妊娠中絶が認められず、妊娠中絶のためには配偶者などの同意さえ原則として必要とされている。「中絶」について、いろいろな考えがあることは承知している。しかし、それを含めて、戸惑い、悩み、悲しむのが妊娠した女性であり、しかも妊娠の原因を作った男性は妊娠中絶の苦しみを味わうことがない上、処罰されないのであり、不公平である。堕胎罪の存在は女性差別撤廃条約にも違反している。かつてこそ、優生保護法(現母体保護法)の拡大運用により、妊娠中絶件数が年間100万件を超え、「堕胎天国」と揶揄されたこともあったが、いまやヨーロッパや北米の諸国では妊娠中絶を女性の要求のみでできるよう法改正ができている。女性差別撤廃条約2条gは女性差別になる刑罰規定の廃止を政府に求めており、北京行動綱領106-k及び「女性2000年会議」成果文書は、違法な妊娠中絶を受けた女性に対する懲罰措置を含む法律の見直しを求め、1999年の女性差別撤廃委員会の「女性と健康に関する一般勧告」14段落は、「女性のみが必要とする医療手続きを犯罪とすること」を適切な医療へのアクセスの妨害と非難しており、これに明らかに反する日本での堕胎罪の存在は国際的な人権標準からも遅れをとっている。もちろん合法化だけが最終目的ではないが、犯罪とする条項が存在する以上、安全な妊娠中絶へのアクセスの障壁になっている。
望まない妊娠を防ぐことが、妊娠中絶という悲劇を回避する最善の方法であるが、日本では妊娠の過半数が望まない妊娠である。日本では避妊実行率が(欧米が7割であるのに対して)約5割に過ぎないが、毎回使用する割合は3割程度であり、避妊失敗率も1割を超えている。性道徳の押し付けや性教育の制限による若い女性などの中絶情報やアクセスが困難になりつつある。婚姻した夫婦で、夫が避妊に協力しないことはまれなことではないが、これはれっきとした「暴力」である。さらに夫による強かんについては、夫には性交を要求する権利があるとして、婚姻関係が破綻している場合にのみに強姦罪が成立するに過ぎないとした時代遅れの判例が存在するが、夫による性暴力は、1993年の国連「女性に対する暴力撤廃宣言」や「北京行動綱領」を持ち出すまでもなく女性に対する暴力であり、甚だしい人権侵害である。これを処罰の対象とするように動き出した世界的潮流や、日本でも男性パートナーからの性行為の強要の体験がある女性が約2割に上る現状に照らしても、さらに妊娠中絶については思春期の女性の課題が注目されやすいが実際には30歳前後での女性の妊娠中絶件数が多いことからも、日本の判例は非常識である。避妊の失敗と、あってはならないことであるが性暴力の被害者対応として、緊急避妊の普及も必要である。
(2) 日本の国際協力のあり方
このような日本国内の状況にかんがみれば、この分野での国際協力も相当な改善をしない限り、現場での賢明な努力にもかかわらず一定の限界があるだろう。
かつて1970年代、日本は途上国の人口を減らすことに他の先進国に負けじと大量の資金を投入した。それが日本の国益にかなうとされたのである。その結果、途上国では多くの女性たちが、強制的に、または経済的誘引と引き換えに、意思に反して産むことを奪われ、健康被害を被った。
リプロダクティブ・ヘルス/ライツが国際合意となった1994年以降は女性の個人としての選択や意思を起点にすべきだと発想は転換したはずであるが、それ以降も日本の国際協力が完全に女性の選択の視点に立っているかは疑問が残る。
これは、簡単な作業ではない。妊娠中絶だけでなく、家族計画や医療機関の利用や外出にさえ夫やその他男性の許可が必要な社会も存在する。女性が援助されることに抵抗を感じる男性指導者も多い。国家としての統率力を維持するために宗教的権威を利用し、女性の役割や行動の制限を規定する国もある。このような強固な社会構造にメスを入れなければならないこともある。
妊娠中絶を禁止・制限する法律だけでなく、リプロダクティブ・ヘルスサービスを制限する法律は多くの国に存在する。賛否あるだろうが、レバリッジによって日本が国際協力している国の法的状況についての発言も、日本には求められるであろう。

日本の法律者として、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ分野の市民運動にかかわる者として、この二つの会議の報告によって、世界中の女性の身に起きている重要な人権課題について、理解が広まり、ともに取り組む人が増えることを期待している。
誰にも生きる価値がある。だから私たちは活動しなければならない。
(注1)2008年は、日本で主要国首脳会議(G8サミット)とTICAD?(第4回アフリカ開発会議)が開催される画期的な年である。既に市民社会は「2008G8サミット NGOフォーラム」を立ち上げ、G8に向けて積極的な働きかけをしている。2007年11月には、これに呼応して高村外務大臣が人材の育成・確保をはじめとする保健課題をG8サミットの主要課題とすることを宣言した。
(注2)マリー・ストープス・インターナショナルは、1921年に開設された女性クリニックに端を発し、1976年に設立された国際機関。当時も現在も産児調節を女性の健康の視点で呼びかけ、世界中で安全な中絶へのアクセスを広めるためにアドボカシーだけでなく、クリニックの開設など具体的なサービス提供を展開している。