すべての社会問題が女性問題に含まれている。

1月24日、WSF2010首都圏の分科会として「ジェンダー視点からオルタナティブ社会を考える」が開催されます。私からのレジュメ代わりの原稿の原案をお知らせします。ご関心がある方は、1月24日ご来場いただければ幸いです。

話題提起「ジェンダー視点からオルタナティブ社会を考える」
鈴木ふみ(すぺーすアライズ allies@crux.ocn.ne.jp)

WSF2010首都圏の分科会でもあるので、新自由主義の今後につなげる話題提起をしたいと思います。

新自由主義が生まれる前
昨年は、「1968年」本ブームだったようですが、私が生まれていなかった1960年代は世界の中でさまざまな転機の前触れであったと思います。この頃、第二次世界大戦後好調を維持してきた世界経済が減速し、まやかしの部分が隠せなくなり、景気後退、産業構造の変化としての男性労働者の出稼ぎ・賃労働の増加、主婦化など社会変化がありました。
この時期に、このような社会の行き詰まりに対して社会運動が盛り上がり、新しい市民運動の担い手が登場しましたが、保守層の組織化も進みました。合州国では宗教主義、リバタリアニズム自由至上主義)、反共が反・リベラリズムで結集しました。さらには、社会運動の影響で生まれた新個人主義の発想を持った人たちがその後行き場を見失っていきました。ちなみに日本では新右翼の動きとして生長の家の強力な支えのもと、1969年「全国学生自治体連絡協議会」(後に「全国学生協議会連合」と改称)が結成されました。

新自由主義の誕生
ついに高所得国が高所得を維持できていた時期が終り、1970年代のドルショックとオイルショックが訪れ、その打開を「新自由主義」という禁じ手に頼って図ろうとする保守勢力が選挙で勝利していきました。ソ連や中国の抑圧的で管理的な政策への西側での批判も保守勢力の後押しとなりました。
1973年のチリでのピノチェト軍事クーデター政権の樹立を新自由主義の始まりであり、1982年のサッチャー政権にはフォークランド戦争が不可欠であったように新自由主義は軍事主義とも連動しています。日本も、アメリカ合州国との軍事同盟を基礎にして経済侵略をしているので例外ではありませんが、新自由主義的市場統合のためには軍事協力が進出の基礎になっており、先進国の支持に従うならば、経済侵略する相手先は軍事政権のほうが都合がよいこともあります。国際社会が民主化や貧困解決を訴えつつ、進展が遅いのは途上国で真に民主化や人権が普及したら、新自由主義的生産を維持できなくなりますので先進国は本気で望んでいないところもあります。とくにアジアでは、市民として人権を主張し、労働争議が起きるようになると、工場を閉鎖し、他の軍事同盟がある途上国に工場を移転させることが頻繁にありました。このような軍事戦略には、ジェンダーが深く結びついています。戦時や占領下、外国軍基地関係者による性暴力や悪条件の元でのセックスワークなどだけでなく、新自由主義経済による産業構造の変化に借り出されるほとんどが女性たちでした。そして、このような役割に女性たちを押し込める役割を果たしたのが、軍や警察などジェンダーとしてみた場合の男性的職業の人たちでした。
 また、ジェンダーとの関係で新自由主義をみる場合に、新自由主義と宗教原理主義との蜜月を指摘しなければなりません。80年代のレーガンサッチャー、中曽根の新自由主義政治勢力は、新自由主義経済確立のため、女性を家庭に縛り付け、人工妊娠中絶を制限するなど女性への戦争を仕掛けました。日本でもアメリカでのレーガン政権成立による保守化の流れに乗って、生長の家は1982年に当時の優生保護法から経済条項を削除しようとする改悪をもくろみました。(この改悪はその後成立した中曽根内閣の際に法案提出が見送られ、教団の路線変更や生政連の活動停止などがありましたが、最近でも『新しい歴史教科書をつくる会』などに影響を及ぼしています。)宗教原理主義新自由主義は、宗教原理の実現と政権基盤の安定という持ちつ持たれつの関係を築きました。
新自由主義政権は、家族の価値を持ち上げて、女性のケア労働担当者としての役割を強化し無償労働を奨励し、小さな政府の代償を女性に押し付けました。社会に有用な一部の女性に社会進出の機会を与えつつ、それ以外の女性たちへの福祉や労働権を切り崩し、民営化の推進によりとくに貧しい女性たちの負担を増やし、家庭での責任の負担を重くしたため彼女たちの生活は厳しくなり、貧困の女性化が進みました。途上国でも構造調整政策による負担は貧しい女性たちに集中しました。イギリスでは、最低賃金が廃止され、日本では、1985年均等法制定と同時に派遣法が制定され、女性が、男性なみ労働者、専業主婦、パート労働者の3つの階層に分断されてしまいました。女性差別撤廃条約と労働力の女性化はこれと同時に存在しており両価的なものでした。まだこの時代は女性の労働への評価は、「女性である」からという理由で、もともと補助的、臨時的であると扱われ、年功序列や終身雇用の対象外でした。ちなみに皮肉にもサッチャーが女性であったことは、本質主義を見直さざるを得ないこととなり、女性運動の戦略にも影響を与えました。私は、夫の性暴力の課題と、堕胎罪の課題に取り組んでいますが、婚外子差別の課題なども含めて政府を含めた家族制度温存の勢力との戦いは日本では明治民法が消滅してもまだ終わっていないのです。
(いま、グローバリゼーションの対抗する提案として、相互扶助の理念に基づく連帯経済が提案されていますが、地域が女性の労働を奪い返すだけに終わってよいはずがなく、女性の負担の上に成り立つものであってはならないのです。)
 また、もう一つ指摘しておきたいのが、グローバリゼーションとナショナリズムは並行するということです。宗教原理主義国家が登場したことだけでなく、(クルーグマンさんの分析とも重なりますが)ナショナリズム、排外主義を利用して新自由主義者が政権を取得し、国境を利用して都合よく外国人を締め出し、戦争や緊張関係を引き起こして愛国心をかき立てて支持を拡大しました。マンフレッド・ステーガー氏は、グローバリズムに対する異議申立として、文化的一体感、確かな道徳、国民の優越性を基盤とした自国民の福利に関心を寄せた個別主義的保護主義と、富と権力の再配分や全世界の人々の平等と社会的公正の実現を説く普遍主義保護主義があると分類していますが、いずれもその担い手には、多くのグローバライゼーションのしわ寄せを負った人たちを含んでいるのです。
 そして、それぞれの国において、新自由主義体制に多くの女性を巻き込むためには、教育、特に若い女性に対する教育をどのように支配するかが、重要になってくるのです。そのためにナショナリズムや、○○人らしさが利用されることもあります。学校教育だけでなく、親による教育やマスコミを通じてのイメージ操作などが支配され、最後には、結婚しなければならないという女性への圧力が女性にとって、その国や地方でよい娘、親孝行の娘の価値観を操作しつつ、労働だけでなく、感情労働セクシュアリティも操作しているのです。途上国では、先進国むけの仕事をしていることや英語帝国主義圏で労働を提供していることがステータスになったりして、「嫁」としての価値を高めさえしますが、このような価値観は最近作られたものです。従順な娘や嫁、良い妻、立派な母親が、「市民」になってしまうと心中主義にとっては困るのであり、そのような市民になることを抑圧するために、(効果がないことが証明されている)道徳の押し付け的な抑制的性教育(または内容の統制が国難な国では性教育自体の禁止)です。

女性運動の流れのおさらい
今日は、この新自由主義をどのように変えることができるのかということをジェンダーの視点から問題提起しますが、そのようなジェンダーの視点から深い経済分析、そして経済学というものの批判をできるようになったのも、国によって多少の時期の差はありますが、60年代後半に起源を持ち70年代に開花した、いわゆる、ウーマン・リブの流れがあるからです。
この時期以前の女性運動は、フランス革命直後から始まった女性の地位の向上を目指すいわゆるリベラル・フェミニズムという、「公的領域」での参政権に獲得と女性の財産権の平等化を求める運動であり、「自由・平等・友愛」によって排除された人たちが、「自由・平等・友愛」の論理を用いて市民となることを目指すもので、この流れは、ブルジョワフェミニズム改良主義とも呼ばれ、持たざる女性を置き去りにしていると、フェミニズムの中でも批判されつつも、主流派とみなされて現在まで続いています。建前としての男女平等が獲得できた後も、男=市民との前提で女性を二流市民とみなして社会進出・社会的自己実現を阻む根拠とされた特性論を非難し性別役割分業に対して強い非難を向けています。リベラル・フェミニズムに属するとされる全米女性機構は、(ベティ・フリーダンさんの思想の影響が強いため)家庭をプライベートな領域として政治化することに消極的でしたが、結局家事育児の分担には目を向けざるを得ず、また家庭内や社会での力関係に目を向けざるを得なくなりました。

ラディカル・フェミニズムの誕生、「個人的なことは政治的なこと」
ところで、60年代の男性主導の社会主義運動の中では、階級を越えた女性の課題は退けられ、主婦を意識が遅れた存在と決め付けており、また、妊娠・出産する女性を二流の労働力と評価したままでした。当時の社会運動は、人権思想の課題の拡大に影響を受けていましたが、それでも男女の関係や女性の役割は旧来のままであり、さらに運動の中で女性たちが性暴力の対象とされることもありました。このような運動へ不満を持った女性たちの中から「愛」「自然なこと(⇒労働ではない)」とごまかされてきた家族や個人的な関係や女性の身体に起きていることなど、最も内密の個別化され原子化された経験を政治の場に持ち込もうと、社会的な男女のあり方を規定する男性優位主義を「家父長制」と名づけ、暴力的なものであると明らかにし、無視されてきた男女の「個人的」関係こそ女性の社会的抑圧を根源と理解するようになりました(ケイト・ミレットさん『性の政治学』)。このような立場は、ラディカル・フェミニズムと呼ばれます。1970年代は、ラディカル・フェミニズムの問題提起を受けた運動を基礎にしてアメリカ合州国、フランスでも中絶は合法化されました(ただし、アメリカ合州国では、中絶をめぐる闘争はむしろリベラル・フェミニズムの課題となり、一番しわ寄せを受けている貧困女性や社会的に排除された女性の中絶をはじめとするリプロダクティブ・ライツの課題が置き去りにされてきました。)。個人的と思われた問題が政治的であることを確認し、ベッドの中に敵がいることを確認することになった意識高揚運動やドメスティック・バイオレンスや性暴力に対する活動、女性の身体の男性からの自律性の主張を展開しました。権利や法改正だけでなく、自発的で直接的な政治行動やキャンペーンを重視した政治についての新しい考え方ももたらしました。また、抑圧の根源を強制的異性愛と捉えたため(アドリエンヌ・リッチさん『強制的異性愛レズビアンの存在』)、非異性愛にも運動の射程が広がり、また非白人や自国民以外の女性たちや貧困層の課題にも運動の焦点を広げていきました。
また、労働の現場では、リベラル・フェミニズムの立場が、価値が高いとされる男性の職種にエリートの女性が進出できるようにアファーマティブ・アクションを重視したのに対して、ラディカル・フェミニズムは、性によって分離された女性職の賃金の上昇、女性にも適正な生活賃金を求め、価値下げされてきた女性の労働の価値の上昇、再評価を目指し同一価値労働同一賃金の実現を強調しています。日本では京ガス事件など、ごく最近になって、同一価値労働同一賃金実現の兆しが見られますが、いまだに大型の労働組合がこれに抵抗しています。
 
 個々の体験から、男性による女性への虐待や抑圧と女性たちや人種・階級などの分断の問題意識を共有して、ラディカル・フェミニズムの影響を受けて登場したのがマルクス主義フェミニズムです。それまでのマルクス主義の運動は、当初資本家対労働者の図式の中に女性差別の課題を組み込まず、上部構造の些細な問題としか位置づけていませんでした。それまでの大半の労働運動も、(製造業の)男性熟練労働者の利害を最優先し、資本家の見方に同調してイデオロギーとして女性を「主婦」とみなし、女性の排除や女性の組織化への無関心のうえに成り立っていました。男性のみにとって家族賃金の発想はその典型でした。当初のマルクス主義は性差別こそ歴史を規定する究極の原因とするラディカル・フェミニズムの主張を否定していましたが、これらの対立を融合するマルクス主義フェミニズムが登場しました。両者の違いとしては、ラディカル・フェミニストが「女性の行っていることをすべて”労働”によって説明しえないのではないか」と提起したのに対して、マルクス主義フェミニストは「なぜ、女性のおこなったこともおこないつつあることは”労働”とみなしえないのか。なぜ、女性の過去におこなった、あるいは現在においておこなっているそのすべてが、痕跡まで含めて消去されようとするのか」(足立真理子さん『多様なものを求めて マルキストフェミニズムの可能性を求めて』)と問いを立てたことにあります。これまでのマルクス主義への内部批判として、古田睦美さんの分析では経済還元論階級闘争一元論、教条主義、白人中心主義、男性優位主義への批判がありましたが、新自由主義によって増加した女性の労働者の体験から、非正規の多くが女性であり、家事労働や無償労働、インフォーマルセクターの課題、そして第三世界の課題など、これらが重なり合って関係しながら女性にのしかかって存在していることが確認されました。なお、資本主義と家父長制との関係はさまざまに論じられてきましたが、本日は省力いたします。
 マルクス主義フェミニズムは、60年代後半以降、家事労働を労働として「発見」しました。私的家事と公的生産労働、労働・非労働の区分をずらしました。その流れの中に家事労働は使用価値だけでなく交換価値も作っているとして、『家事労働に賃金を』というスローガンがイタリアのマリアローザ・ダラ・コスタさんたちの運動によって掲げられました。彼女たちは家事労働への支払だけを目的にしていたわけではなく、ベーシック・インカムの主張につながっていったのですが、資本主義経済秩序の中では、生産的ではないとみなされてきた再生産労働を、労働とみなし、労働からの排除に異議を述べる闘いでした。(その後、家事労働から発展し、再生産労働の「発見」につながり、またアンペイド・ワークは、国連のなかでも統計に盛り込まれるようになりました。)
 また、「労働力の女性化」についての分析が1980年代には整いました。マリア・ミースさんやヴェールホフさんは、ローザ・ルクセンブルグさんの『資本蓄積論』の読み直しから家事労働について、成熟した資本主義のなかでの剰余価値の搾取とは別の、第三世界で起きているのと同じ「継続的本源的蓄積」とその中での暴力や収奪が起きていることを、「発見」したことが、グローバリゼーションの分析に大きく貢献する「世界システム論」の発展に寄与しました。従来の搾取や階級という概念が万能であることに疑問を持ち、先進国内の資本家対男性賃労働者という資本主義は、家父長制に代表される膨大な「非」資本主義的環境(他の領域の非賃金労働、第三世界、小農民、小商品生産者、周辺化された人々、出稼ぎ・移住(家事労働、介護労働、エンタテイメント)への依存なしには成り立たないことを再度示しました。長い間、フォーマルセクター以外は、シャドウ(つまり不可視)経済、分析の対象外であり資本主義経済では、主婦がしていることは私事であり生産的ではない、自然なことであって労働ではないとされてきました。いわゆる、第三世界の運動を通しての資本蓄積論の見直し(本来的蓄積過程と並行する(家父長制と結合した)本源的蓄積過程)から、一国主義的フェミニズム理論から資本主義世界システム分析へ、性別役割分業の分析から(先進国の経済成長のための)新国際分業の女性の配置の分析へと導きました。「主婦」という「イデオロギー」を発見し、資本家にとっては(正規の賃労働者よりも)「主婦」のほうが低賃金であり、自己組織化が困難であり、ゆえにほぼ無権利であることから生産的であるとされていることを見抜きました。そして、世界の流れは女性労働者が「主婦」「イデオロギー」からの解放に向かうのではなく、男性が主婦化されていくことを指摘しこれに早く気づくべき共闘の可能性を訴えかけました。(彼女たちは、国家、資本、家父長制の支配のない社会を求め、サブシステンス経済を推奨しています。)

 ただし、マルクス主義フェミニズムについても、上記の家父長制と資本主義の関係という理論的側面だけでなく、このような分析によって次々登場する労働者以外の階層との運とその表裏の関係にある労働者の中での多様化、労働者以外のアイデンティティを引きうけることは分析には有効でも永遠の敗北を引き受けることにもなりかねないことなどから、別の理論が求められました。(ヴェールホフさんの議論も従属理論を前提にしていたため内的差異を軽視していました。)その一つとしてのラクラウとムフによるポストマルクス主義の理論は、階級の統一よりも分裂が問題になっている現在の状況に焦点を当て、敵対性は複数的であり、多元性は行為者内部にもあるとして闘争を多様性のままに評価し、言説間の競争や新しい公共性を通した主体の形成、差異に満ちた個人間の同盟を可能にするようアイデンティティに関わる言説上の接合をおこなうことを提起しています。
 
新国際分業と女性労働力の動因
新自由主義の手段としてのグローバリゼーションは、1970年代のオイルショック以降の低「成長」を打開する戦略として新国際分業(このような分析をしたのは、フレーベル氏ら)を採用して「労働」を破壊して進展しました。これまでの国際的に安価な原材料の調達から安価な労働力の調達にと標的が変化しました。それまでの国際分業が原料は「植民地」からであっても生産拠点は高所得国であったのに対して、低成長を乗り切る手段としてOECDによって導入された新国際分業は1970年代以降生産拠点が途上国に移転されました。その様な移行が可能になるためには労働力の貯水池、情報通信技術、生産工程の分割可能性という3つの条件が整っていなければなりませんでしたが、この時期にはこれらが整っている途上国が多くありました。
 途上国では消費する高所得国の事情にあわせた生産がされ、これを元に劣悪な労働条件が課され、高所得国では失業が増加するも、物価が低下して大量消費の維持するようになりました。ここで成功の鍵になったのが「女性」の活用でした。(サハラ以南のアフリカなどのいわゆる第4世界を除き)途上国では輸出加工区での若年女性の短期雇用をはじめとする大規模な製造産業だけでなく、下請け家内工業、インフォーマルセクター、世界市場向け農作物生産者の家族労働形態での無償労働、先進国向け観光・(婚姻と人為的に線引きされた)セックスワークなどに女性が配置されました。それは女性が「主婦」と烙印を押されて「みなされ」、低価格で取引できたからです。暴力的な収奪的開発は途上国でも格差を増し、搾り取られても労働とみなされないでいました。農の分野では、新自由主義と公共サービスの民営化、先進国による知的財産権の確保により、途上国の女性農業従事者の生活はますます苦しくなっています。
また、高所得国では1970年から80年代の長期不況時において、男性の労働参加率がおおむね減少したのに対して女性の労働参加率は上昇しました(労働力の女性化)。ルベリー氏によると、これまでの(家計補助として)安上がりの(従順で真面目な)景気の調整弁としての女性の緩衝としての役割だけでなく、(いままでの労働の担い手が女性に変化する)代替的機能と(新しく低賃金のパートタイマーや非正規職が作られる)分離的機能が加わったと分析されています。高所得国同士で差異はあるものの製造業からサービス業への脱工業化とサービスセクターへの流れ、産業構造の変化が起き、女性は、不自由賃労働と、再生産の無償労働を負担することになりました。先進国でのサービス経済化と空洞化、購買力をもった既婚女性のパートタイマーが多数登場しました。
なお、このような産業構造の変化によって途上国ではこれまでの労働と生活のあり方が崩れ、解雇などにより職場を離れた女性たちは再び家族に戻ることができず、90年代の次の段階に入ると国際移動に向かい、高所得国でのサービス業、特に再生産労働に従事することになります。

1990年ころになると、グローバリゼーションや自由貿易が加速しました。サービス経済化と新自由主義政策によってサービスの二分化が進み、いわゆる中間層が分離し、ワーキングプアと呼ばれる人が増加しました。そのようななか、サービス業の拡大と再生産労働のサービス化によって、国際移動の女性化が進み、そして、個人へのサービスの担い手になり、再生産労働、つまり労働力を維持するための労働の国際分業が進展しました。再生産労働は世帯を前提にしていますが、国際分業がこれに割り込み、国際分業のひずみを世帯での吸収し、世帯が国際分業を利用するという方向に進んでいます。他方で先進国は自国のサービスや再生産労働に必要な一部の女性については移住を認めつつ、それ以外の女性たちを排除し、とく9.11以降「テロリスト」のレッテルを貼って、人身売買の被害者さえも警察を使って排除するようになりました。
21世紀に入り、アメリカ合州国では、新自由主義の矛盾に歯止めがかかるはずでしたし、父ブッシュの新自由主義の行き過ぎへの牽制からクリントンの支持を民主党が引き継げるだけの支持はあったはずでしたが、いわゆる「不適切な関係」により、ブッシュが勝利し、より新自由主義を推進し、イラク戦争と世界同時金融危機に突き進んで行きました。この政権は、中絶、性教育セックスワーク、男性の下半身ではなく、女性を拘束する方向に傾きました。オバマ政権になって公正賃金法が成立し、不充分ではあるものの中絶への抑制が緩和されることになりました。

現在、賃労働者だけでなく、あらゆるものが商品化され、多国籍企業に利益が集中するようになっています。WTOもそのための仕掛けです。また気候変動についても、このような主婦を利用しつくした新自由主義とそれにあわせた大量消費社会の変化が招いた結果であります。

日本のグローバリゼーション、産業構造の移行、ジェンダー配置の特殊性
日本では、アメリカほどには経済のサービス化が進展しておらず、輸出分野や箱物公共事業に依存しつつ製造業での労働がいまだに社会の重要な役割をしめているため、女女格差よりも男女格差が中心であり、その点はアメリカ合州国などと事情は異なりますが、さらに経済のサービス化が進展すると予測されます。景気が後退しても、(男性正規だけでなく、90年代には女性正規から)女性非正規はおおむね増加してきました。もはや競争力が衰えた輸出向け製品製造業が依然として強く、土木中心の公共事業、男性標準家族賃金維持の雇用慣行がなかなか変更されませんが、そのしわ寄せを女性の非正規雇用者が一挙に吸収してきたことにもあります。日本には高度なサービス業はまだ充分存在せず、女性の継続就労の低さと転職が不利になる構造が女性の労働をさらに不利なものに追い詰めています。そのため、同一価値労働同一賃金がなかなか浸透しません。産業構造の移行がまだ途上であり、労働組合も男性の生活賃金を、人権思想も、法も、差別禁止監視も不充分です。
家父長制システム内部では、「少子化対策」が叫ばれていますが、新自由主義の片棒を担がざるを得ない政府は、非資本主義的外部の「必要性」を感じざるを得ず、「産む機械」と言う本音を漏らし、女性が産むことの拒否しないよう圧力をかける社会を作ろうとしています。(ヴェールホフさん『(プロレタリアは死んだ、主婦万歳?』)再生産労働は世帯を前提にしていますが、今は制限的にしか受け入れていないケア労働の国際分業も世帯に深くかかわり女女格差が拡大し、不安定就労を吸収する世帯の役割、中でも女性の負担は増加するでしょう。
 家父長制システムの外部とされる、シングル、セクシュアル・マイノリティの女性たちは(家族形態しか思い浮かべていなかった貧弱な労働・選別的な福祉政策による影響も重なって)貧困と差別に苦しんでいます。「反貧困」という言葉が登場するまでは、日本では貧困は過去の、亡きものとして隠蔽されてきましたが、さらに深刻化しています。セックスワーカーの権利も、婚姻者の権利との格差について合理的な説明がされないまま宙に浮いたままです。
 
 マルクス主義フェミニズムの予言は的中しているか?
 自由な賃労働が広まったのではなく、労働者の主婦化(無権利化、無賃労働化)という現象が広まったのでした。クラウディア・ヴェールホフさんは、『(プロレタリアは死んだ、主婦万歳?』)「すべての社会問題が女性問題に含まれている。」として経済成長を目指す世界システムの土台となる女性の不自由な賃労働と無償労働を指摘しました。「家事労働の一般化こそ、資本家の夢であり、これほど安価で生産的で実りの多い人間労働は他にない。」「いずれ男性も自由なプロレタリアの地位から没落し」「かつて賃労働が導入されたときに男性が女性を犠牲にして主婦によって自分の損失を補填したように、男性が自らを堕落させる危険がある。」周辺部で起きていたことが、中心部で、男性に起きるようになったのです。男らしい労働は硬直的で使いにくいと拒否された結果、男性が主婦化した労働を受け入れざるを得なくなっています。
現在起きている貧困と格差の根源も、主婦イデオロギーに根ざしているともいえます。マリア・ミースさんは、新自由主義とは、「労働の主婦化」の別の表現であると述べています(『グローバリゼーションとジェンダー』)。主婦化とは、低い地位、男性の賃金の補完物、と「みなす」ことです。
マリア・ミースさんの『グローバリゼーションとジェンダー』(川崎賢子・中村陽一編『アンペイド・ワークとは何か』に収録、図・氷山モデル)では、新自由主義による破壊、つまり人間への戦争への解決は、ジェンダー視点を取り入れるだけでは済まず、ジェンダーを中心にすえて分析し行動しなければ、経済成長路線をジェンダーの視点から見直すべきであり、都合の悪い真実に目を背けていれば新自由主義と決別することはできないことを主張しています。もちろん、ジェンダーを中心にすえると、重商(重症)的「経済学」という枠組みさえ、組みなおさなければならないことに行き着きます。現在起きている貧困と格差の根源は、氷山モデル(図)の氷山が、(気候変動によって)沈みだしていることで、これが海面上で安泰と思っていた先進国の男性正規労働者までも襲ったことなのですが、海面下にいた人はもともと大変だったわけですし、そのような海面下をつくってある以上、海面下まで沈むことはこの経済成長システムの中では当然かもしれません。いわゆる女性を、途上国を、環境を踏み台にしてきたしっぺ返しが始まっていますが、ことは、自分だけが海面からはいあがろうとする努力はなかなか成功しません。貧困は、先進国にその中でも女性たちの貧困に戻ってきます。先進国では貧困は過去の遺物とされ、経済成長が続くべきということが当然の前提とされていますが、別の社会モデルが求められています。

今後に向けての戦略
現在のシステムを継続させて、その中で他人を海面下に落として(男性は労働貴族として女性をこれまで以上にこき使い暴力で強制)生き延びる努力をするのか、このシステムを終わらせるのか、「生存権」を前提にすればどちらが正しいのでしょうか。このことを考えるとき、ジェンダー視点から捉えなおすことが不可欠です。自然破壊や他者からの搾取収奪が大きいことが生産性が高いことなのか、真剣に見直す必要があります。 
 男女格差を改善すべく同一価値労働同一賃金は日本では引き続き追求されるべきですが、女女格差による女の分断は誰にとってメリットがあるかを考えた場合個々の労働現場の集団の権利を擁護することは必要ですが、全体のパイを広げる戦略が必要と思います。そのためには国際課税、債務免除、国内では累進課税の強化、高額報酬の制限、大企業の内部留保への課税強化、高利貸の規制とその裏返しとしての政府による生活費の捕捉率の向上と生活費貸出しの強化、適正な価格でかつ、契約に差別が介入しない住宅政策が必要です。教育の管理からの復権も必要です。
産業がますます流動的になる中、安定雇用を求める運動だけでなく、個人単位のベーシック・インカムの保障を求める運動も必要であり、また、その保障はグローバル化されたものになるべきです。その手始めとしてグローバリゼーションの公正化、社会保険のポータブル化なども考えられるべきです。国内の軍事的提供について、常に沖縄の状況に気を配りを連帯していく必要があります。
 私は、運動の中ではラディカル・フェミニズムの提起した問題に取り組む必要を感じながらも、政治やアドボカシーの領域ではいまだにリベラリズム擁護の必要性を感じています。運動の立場からは物足りないと思っても、正当化の根拠として、人権思想、人権の普遍性が最低限のことを確保するときに絶対手放せないものとなります。ただしそれはラディカル・フェミニスト以前の人権論ではなく、人権抑圧の構造を把握し、個々の現場の状況を見据え、社会的排除を許さない、人権論であり、リベラリズムです。女性運動が本来の鋭さを鈍らせないため、行政との関係を戦略的に考える姿勢が必要です。
また、社会運動や労働運動が、女性運動の提起を受け止め、自らの課題として取り組むことを可能とする自己変革の柔軟性と力量を備えているかが、今後、女性運動が社会運動や労働運動と良好な関係を持ち、オルタナティブを築けるかに大きく影響するでしょう。接合点が見つけ方、作り方が運動の課題になります。また、運動が閉じたものにならないためには、他者からの声を聞き続けることは必要です。
高度な国際分業のもとでは、ほとんどの人が国際分業とは無関係に生活をすることはできず、「共犯」関係に入っており、むしろ貧困であるほど、グローバリゼーションと縁を切るのは困難な生活をせざるを得ません。倫理が働かないのではなく、倫理が行使できなくなっているのです。だからこそ倫理を行使できない人を、運動がそのまま非難することが妥当でないこともあり、新自由主義的な価値観にしたがなかった人に不利益や差別を向けないにとどめるというか解決が、運動の中での排除をもたらさず、大きな運動のためには必要なこともあります。