2012/08/05司法福祉学会・分科会で発表しました。

(2012/08/05の司法福祉学会・分科会で発表をしました。下記は概略です。

すぺーすアライズ 事務局長 鈴木ふみ

<要旨>
 性暴力被害者対応については近年のワンストップセンターの設置等やっと支援が可視化され、政策課題となりつつあり歓迎すべきである。ただし、支援の機能化や制度化や専門分化は、被害者の分断や、構造的問題として性暴力を許さない社会を目指すレイプ・クライシス・センター運動の志の稀釈化など、新たな課題をもたらす。また、被害者を遠ざけている支援の変革が必要であるが、同時に、話さない権利、支援されない権利を認め、支援されたくないサバイバーも含めたすべての人が生きやすい社会が目指されなければならない。これらの課題を、海外の事例や国際文書等を参照しつつ、みなさんと考えたい。

司法なのか、社会サービスか
性暴力対策を考えるとき、政治体制や経済制度を話題とするわけではありませんが、大きく関わる問題です。貧困や差別をどうなくしていくか。そのために政府の義務は何か、を切り離して考えることはできません。
この点、アメリカ合衆国カリフォルニア州では、1979年に社会福祉局(DSS)から刑事司法計画事務所(OCJP)に担当が移行しましたが(Nancy Matthews, “Feminism clashes with the state: technical choice by state-funded rape crisis centers”)、この様な変化は、予算、活動方針、活動体内人事に影響を及ぼしました(Nancy A. Matthews "Confronting rape : The Feminist Anti-Rape Movement and the State”など)。

サバイバーはどこにでもいる
さて、この場にも性暴力の被害に遭われた方は多いでしょうし、実際私自身もサバイバーですし、そうでない方もご本人からそのような告白をされたこともあるでしょうが、されないことも多いと思います。サバイバーにまったく、または、ほとんど出会ったことがない、とお思いの方がいらっしゃいましたら、実はいままで多くのサバイバーに会っているはずということに気が付いていただくだけでも、この課題に対する考え方が変わるのではないかと思います。ちなみに、性暴力の実態を把握することは大変難しく、私自身も幼い時の被害経験については20代半ばまで記憶の隅に追いやられており、もし20歳頃にインタビューを受けたならば被害体験は「ない」と回答していたと思います。ダイアナ・ラッセルの調査(『シークレット・トラウマ』)では、アメリカ合衆国では3人に1人か2人に1人の女性が性虐待の被害体験があると回答し、WHOの報告書(「暴力と健康について」2002)でも最大3人に1人が最初の性交が強要によるものであったとのことです。
しかし、多くの場合、その被害を打ち明けること、さらに支援を求めることは多くなく、だれにも言「わ」ない、言「え」ない、信用できる人にだけ話すことがむしろ「常識」かもしれません。詳しくは、たとえば、内閣府男女共同参画局の調査をご覧ください。被害を受けた女性の約7割はどこにも相談していないと回答しています。性暴力被害を明示しての医療の利用や捜査機関への被害申告については、その利用しにくさが指摘されており、諸国でその改善のための取り組みがなされ、日本での「ワンストップセンター」の動きもその一つとして評価できますし、「利用したい」被害者が利用しやすくする、利用を困難にする障壁を取り払うことも必要です。後でお話しする、医療や捜査という役割を超えた支援者の存在、支援者が社会に踏み出すこと(アウトリーチ)、ソーシャル・アクションを含めて被害に対する社会的偏見の除去等も必要ですが、それでも状況はすぐには改善しないでしょうし、またそれでも医療や捜査等の公式な支援を求めない被害者は多いままでしょう。Debra Patterson他によるUnderstanding Rape survivors’ decisions not to seek help from formal social systemsという論文には、被害者が「自分を守るため」支援を求めない過程の分析がなされています。この論文の末尾は、ソーシャルマーケティングアウトリーチが提言されていますが、必ずしもこれらによってすべてのサバイバーが支援を求めて公式な窓口に登場できるわけではないし、サバイバーにそうすべきと誰も言う資格はありません。私も含めて少なからぬサバイバーが警察に行くことを考えず、自分の体に何も起きなければ医療に行かなくて済むと考えましたし、警察に良い思いをもっていない人は今助けてほしいと思わなければ警察にかかわりたくないと本能的に思う人も多いのではと思います。さらにコントロールされたくない、ほうっておいてほしいと思うことが保障されてもよいと思います。いずれにしても、被害にあっても生きていかなければなりません。そのためには生きることが保障されなければなりません。話さない権利、支援されない権利を認め、支援されたくないサバイバーも含めて保護されるためには、性暴力被害があるかどうか聞かれず、性暴力被害者が傷つかない、性暴力被害者が生き延びられる制度と環境が必要です。最低生活を保障し、できない就労を強制されたり交換条件にして福祉を打ち切られないことも必要です。また、家族に依存する社会保障制度もサバイバーに冷たい制度です。家族に依存する社会保障制度は性別役割分担を強化し、女性の負担と貧困を増やす原因となりますが、それだけでなくとくに親族間での被害を受けたサバイバーには福祉をあきらめさせる機能を持ちます。また、自身でのコントロール感を回復するため、自分にかかわることはいちいち同意を取ってほしい、とくに医療において医療側の価値観での「扱われ感」を減らしてほしいと思います。セクシュアルリプロダクティブサービスの無料化もこの解決につながるかもしれません。性暴力の被害を受けたことを言わなくても生きていけることが保障されることが必要です。
医療や警察は被害者についてのステレオタイプを抱えており、そこから距離が遠いサバイバーは支援から遠ざけられ、声さえ聞かれません。医療や警察にとって扱いにくい利用者、適切な支援がないために、または必死で助けを求める気持ちから「援助交際」にかかわり性産業の餌食になり、いわゆる社会問題や非行や犯罪に陥ってしまった人の中には、性虐待のサバイバーが多くいるはずです。たとえば、児童自立支援施設での調査では、性被害体験がある利用者は男性で23%、女性で81%(平成19年度)、厚生労働省科学研究「児童思春期精神医療・保健・福祉の介入対象としての行為障害の診断及び治療・援助に関する研究」では、過半数が強姦被害に遭っているという実態も確認されています。このような、さまざまな各窓口が感度を上げていくことが必要であるとともに、それでも「言わない」サバイバーにどう向きあえるか、このような支援を組織や制度が無駄と考えずに位置づけていく取り組みも求められます。
これらをかなえるには、被害申告した人だけに被害者サービスや公費負担を与える制度は見直しが必要でしょうし、これらは国連・社会権規約女性差別撤廃条約に規定された必要な保健サービスへのアクセスの妨害の除去も必要です。その裏付けとなる予算も必要です。性暴力という枠組みではなく、中絶の利用、性感染症の治療等、セクシュアルリプロダクティブサービスの利用者としてだけ登場するサバイバーもたくさんいます。リプロサービスについては悪用を懸念する人もいますが、むしろリプロサービスが高価でアクセスしにくいことこそが問題です。
刑事事件の被害者のための制度、「被害者」支援の問題、「性暴力」問題という枠づけられた問題解決では限界があり、制度へのアクセスを高めることは必要ですが、それだけでは不十分です。誰もが生きるために必要なサービスを屈辱を受けずに利用できることが必要です。
性暴力被害という面以外のマイノリティが自身のことを名乗らなくても、利用しやすいよう考えていく必要があります。例えば自身のことを名乗っていないレズビアンのサバイバーにパートナーのことを聞く際「旦那さんは?ご主人は?」と尋ねれば、大きな疎外感を感じ、自分のことを話す勇気がくじかれてしまいます。
「言う」「言える」サバイバーと「言わない」「言えない」サバイバーの格差をどうなくていくか、それは「犯罪被害者」支援という枠組みで充分なのか、被害者に対する社会福祉サービスに広げれば足りるのか、それとも社会全体のユニバーサル・デザインなのか、検討される必要があります。
サバイバーにやさしい医療や社会保障は、全ての人にとっても利用しやすくなるはずです。

社会の仕組みに焦点を当て、性暴力を「なくす」ことを目指すこと。
全てのサバイバーが支援を受けられることが必要であり、支援が届きにくいところにいかに支援が届くようにするかという視点が現実問題として重要ですし、公的資金はこのような課題にこそ重点的に充てられるべきです。同時に性暴力が起こらない社会を作ること、なぜ性暴力被害の男女比が極端に女性に被害が多いのかという根本的原因に対して、つまり社会構造に焦点を当てて常に変革を求める運動が必要です。被害者対策、被害者対策だけを、社会の中から切り取っての、バンドエイド的な対応も必要なことですが、これがすべてではありませんし、どの支援機関もこの役割に限定されてしまうことは危険です。世界中の多くの強姦救援センター(RCC)が性暴力のない社会を目指したキャンペーン(例えばspeak –out運動や”Take back our nights”)を、この時期に思い起こす必要があります。また、このような集団・グループは、男性社会での生きづらさから社会の構造的問題を突き止めて改革を目指すCR(意識高揚グループ)等の活動に基づき誕生したものが多く、暴力の構造的原因としての力関係・上下関係を避けて平等な組織を目指して、自分たちの中で現存の男性中心社会とは異なる社会を実現しようと実践しました。その成果として性暴力についての法律の変革もありました。
性買売は、同じ視点からなくすことが目指される必要がありますし、性暴力とは何かという根本的問題に常に意識を向ける必要があります。

今起きている流れの留意点
支援の枠組みとして、従来からの強姦救援センターや電話相談での地道な活動に加えて、日本でも昨今ワンストップセンターの設置が脚光を浴びています。1箇所でサービスが利用できる意義を評価し、また被害者が利用できる機関が増え、顕在化することは評価しつつも、このような時期だからこそ、被害者や潜在的被害者の側から、改めて性暴力被害者対応について原点から再検討し、また、社会問題の政策化の過程の中で、どのような変化を求められ、それによってどのような長所と短所があったかを振り返り日本の今後の展開につなげる必要があると思います。とりわけ制度化(institutionalization)は欧米では強姦救援センターの当初の目的や役割の変質を否が応でももたらし、日本での展開でもこの課題の検討は重要です。制度化は他の分野でも共通しているものの、性暴力被害は医療や捜査など専門的で機関や資格によって独占されている分野について被害者のニーズを結びつけることが必要であり、折り合いがとくに難しくなります。また、心理的支援について、必要としている状況はあるものの、これが被害者支援にどのような位置づけとなるのかも検討が必要です。ただし、この分野に限ったことではありませんが、社会変革を求めずに被害者を社会適応させ、声をカウンセリングルームに封じ込めるためのカウンセリングの利用され方には注意が必要ですし、被害者支援がそのような枠に限定されることは危険です。
多くの先進国では、1970年代に女性活動者らによる強姦救援センターが設置され、その後、性暴力を社会問題と位置付けることに一定程度成功し、国や州の制度の中で性暴力の課題を政策課題とさせることに成功しましたが、他方で、政府やこれまで被害者の「扱い」について非難対象だった医療や警察と距離や関係をどのように保つかについて困難な問題を抱えることになりました。詳細は、『Rape Work: Victims, Gender, and Emotions in Organization and Community Context (Perspectives on Gender)』 (Patricia Yancey Martin著)や『Feminist Organizations: Harvest of the New Women's Movement (Women in the Political Economy)』 (Myra Marx Ferree, Patricia Yancey Martin著)、『Remaining radical?』(Rebecca Campbell他著)などをご参照ください。イギリスでは、SARCs(sexual assault referral centres)は官制ワンストップが制度として位置付けられたため、被害申告をした被害者とそうでない被害者のサービスへのアクセスの格差、制度としてのジェンダー中立ゆえ女性に対する暴力としての位置づけ(女性であるということで被害者となった、身近な間柄で女性であるがゆえに暴力を行使された等、性暴力の構造的問題には接近できず)、女性のニーズや社会の中でのおかれた状況や困難に対応できず、その結果女性を充分に支援できないという問題も起きています。とくに、このような機関では、社会の周縁に追いやられた女性たち、家族内や身近な間柄での性暴力の被害者が、ふるい落とされてしまいがちです。  
また、制度化の潜在的限界として、政府の義務として性暴力を防止し被害者を支援する責任があり、性暴力被害者支援に必要な資金は政府が負担すべきですが(CEDAW・国連女性差別撤廃委員会一般的意見28等)、政治の新自由主義化や保守化は、被害者支援に利用できる資金を削減させる、または使途を限定する傾向にあります。そのような制約によってもっとも被害をこうむるのが、支援が行き届くにくい人たちや社会的な排除を受けやすい人たちです。そのデメリットを食い止めるため、選挙での公約にさせること、一度獲得した資金を後退されないよう法律的枠組みや中期計画を策定させる等の運動が必要ですが、制度化された機関はそのような危機と隣り合わせで活動をしなければなりません。 
また、警察では被害者は被害者としてだけではなく証人としての地位を除外して利用することができず、かかわる側も証人としての部分については厳しい対応が必要となり、また医療機関でも、患者としての部分については尊重されるものの、患者としての症状以外の部分については医療機関の役割ではないとして除外されがちであり、被害者の側にできるだけ立ち、二次被害をできるだけ防止することは必要ですが、役割葛藤は不可避であり、被害者の側に完全に立つことは期待できない役割にあります。とくに警察の場合、被害者の立場と証人の立場は相いれないものであることも多く、警察において被害者対応の取り組みを促進する必要性は高いものの、捜査機関である警察が被害者支援の中心を担うことは、被害者のニーズを機関の都合で絞ったり、被害者が警察のニーズに合わせなければならなくなるためあまりお勧めできません。
また、役割を中心にした集団では、国家からお墨付きを与えられた有資格者は先生と呼ばれたり、地位や権限が偏ったり、給与格差が生じています。また対外的に代表や組織構成が明確でなければならないため、上下関係がある組織が求められがちで、このような組織の中で被害者のエンパワメントとは緊張関係にあるだけでなく、当初のRCC(強姦救援センター)が求めていた社会変革の価値観からも離れていくことになります。
それだけでなく、制度の中での支援は、社会全体の支援者の育成・教育に社会資源が充てられ、民間団体に資金がないという状況を改善しない限り、民間団体で育てた人材が公式機関に吸収され、また、新規の人材を公式機関に独占されてしまい、民間のRCC等の力を奪いかねないという恐れもあります。その結果、徹底的に被害者の側に立つ存在は制度の中では影が薄くなってしまいます。
最近、日本の支援業界で使われている、切れ目のない支援はベルトコンベアとは違います。支援者にとって都合がよい支援ではないはずであり、「したい援助」ではないはずです。ワンストップについても、サバイバーのとどめ置き、関所であってはならないし、そこを通らなければサービスに行きつけないとしたら、本末転倒です。
専門性を高め、被害者に役立つ知識が増え、経験が深化することは重要ですが、専門分化によって、問題が細切れにされ、その狭い専門分野での解決方法を最善のものとみなしてしまい、構造的問題を見ないふりをし、表面的な課題にしか対処できなくなるという問題にも気を付けなければなりません。分析しつつ統合し構造を変革する力が必要です。細分化されたままだと、本質が見えません。

性暴力に対応できる看護職であるSANEや性暴力被害者対応チームSARTもさまざまな発展をしています。RCC的SANE(性暴力被害者支援看護婦(師))があり、医療的専門知識を有しつつ、医療機関の利害ではなく被害者の気持ちとニーズに寄り添い、RCCの機能の一部として動いているSANEがあります(政府から独立したRCCや、制度化されているものではカナダのBC州等)。他方、たとえばアメリカ合州国では医療や捜査という公的役割・機能の中に法医学の領域を重視したSANE(examinerの要素が強い性暴力被害専門看護検査官)の役割・機能が期待されており、司法省の犯罪被害者向けプログラム(U.S. Department of JusticeのOffice of Justice ProgramsのOffice for Victims of Crime(OVC)のプログラム)として実施されています。そのようなアメリカ型の場合では、例えばいかに起訴率を上げるか、から設計され、その観点から評価されています(例えば、『testing the efficacy of sane/sart programs do they make difference in sexual assault arrest & prosecution outcomes? 』 M.Elaine nugent-Borakove他)。
ワンストップセンター自体、どのような運用をするか、また、他の制度との兼ね合いで、機能するかどうか、被害者に役に立つかどうかが決まると思われます。警察による機能や運営を中心とすることによって利用資格が限定されがちですし、医療機関では患者であることがすべてではないはずですが、患者としての部分以外は置き去りにされがちです。本来の機能と役割は担われる必要があり、必要なのはサービスの多元性です。その中でも、きわめて重要でありながらも、軽視されがちなのが、被害者の側に徹底的に立つ支援者です(これについてアドボケイトと位置付ける人もいます。)。このような支援者はその役割や、役割のために必要な支援期間が限定されず、被害者の表面的な「自立」というより、むしろエンパワメントを目指す存在が必要ですが、それには警察や医療機関に属している存在ではない、むしろそれらの機関の使命を負っていないことが必要ではないかと思われます。

サービスの普遍性
 以上述べたように、サバイバーがどこにでもいるという普遍性から、潜在的利用者の存在を前提としたユニバーサル・デザインが必要です。対象者を刑事事件利用者に限るかについて、私はそのような限定はすべきではないと考えています。また、マイノリティ、社会的な脆弱な被害者が利用しやすいことも必要です。
 また、身近な人からの加害について、的確な対応できることも必要です。日本をはじめ性犯罪・性暴力被害者対策は、「なぜか」見ず知らずの粗暴な加害者からの性暴力を前提に組み立てられているようですが、性暴力とは何か、支援をする社会サービスが強姦神話の影響を受けていないかという視点から点検が必要です。 
また、利用者の普遍性に対応して、提供者の普遍性、担い手の普遍性も求められます。確かに専門性が高い集中拠点ももっと必要ですが、どの医療機関でも、サバイバーが傷つけられず、最低限の必要な医療サービスを利用できることも整備される必要があります(NY州ではSARTがない病院でもレイプキットが常備されています。守屋典子『NY州におけるSART調査報告』)。医療現場でも普遍的サービスとの両立は可能なはずです。SANEやSARTもこのような位置づけの中で、活躍の場が広げられるべきです。
 運用の主体との関係では、これまでお伝えした留意点を意識しながらも、新しい公共をどのように考えるか(安上がりな民間の酷使による支援との非難あり)、被害者に寄り添う支援に実績があり実現が可能な民間の支援団体が政府の資金で活躍できる仕組みを作る必要があり、民間RCC機能と位置づけを積極的に改めて位置づけ直す必要があります。

サービスの内容と構築
また、サービスの内容と構築について、まずは、リプロダクティブ・ヘルスサービスとの一貫性が必要です。暴力の課題と身体や健康の課題の結びつきについて深く考えるべき政策立案者自体に理解が足りないことや、国によっては保守勢力や宗教原理主義的な理由等で、緊急避妊、中絶(とくにメディカル・アボーション)、HIV感染予防等の一部が欠けているサービスしか提供できていないことがあります(日本での被害女性の妊娠への支援の不足(物理的・経済的問題も含む)については小宅理沙『犯罪被害女性の妊娠に対する支援の実態と今後の課題』等、NY州では2003年法改正により緊急避妊についての情報提供が義務化)。当然ながら、提供できるサービスの包括性(『Responding to sexual assault victims’ medical and emotional needs』Rebecca Campbell他)は、利用者が利用しやすいためには必要であり、ワンストップというならばこちらをまず実現すべきで、中絶手続きの利用ができないワンストップセンターなどという語義矛盾は、まずもって優先して解消されるべきです。
また、日本では被害者支援の中で司法における被害者保護については一定の進展はありますが、これに比べて(司法以外の)中長期支援と社会福祉サービスはこれからの課題が山積しています。司法との連続性を重視して充実すべき支援と同時に、司法制度とは切り離して被害者のニーズを満たすべき支援の双方が強化されるべきであり、それぞれの必要性の位置づけが検討されるべきです。
司法との関係では、特に子どもや障がい者等特別のニーズがある場合の対応や司法面接の採用についても進められるべきです。
連携のありかたについても、さまざまな支援がかかわる場合、有機的連携が検討されるべきであるとともに、守秘義務の問題、専門者間の馴れ合いの問題など、緊張感をもって扱われる必要があります(前記守屋氏の報告では、NY州ではチームの議論はせずCA州では議論や情報交換が盛んとのこと)。アウトリーチとサバイバーの安全の検討も必要です。
予算と府省縦割りの矛盾の解消や支援の枠組みについての法制化の意義についても課題です。

さらなる課題 大きく背景となっているグローバリゼーションを見抜く力が要る。
暴力の背景と解決を困難にする背景には、世界規模の貧困問題や女性差別の課題があり、これに伴う人の移動があります。性暴力被害者対応の国際水準とともに、国際化の中の人権を考える必要があります。たとえば韓国の性売買禁止法について、日本への影響を検討する必要がありますし、パレルモ議定書に記載されているとおり、性目的を含めて人身取引の根本原因には貧困がありますが、国際人口移動のなかにも貧困や格差を原因とするものが多く、これらを解消しないと女性に対する暴力はなくなりません。犯罪と貧困との関係については慎重な分析が必要ですが、例えばスウェーデンでは、性犯罪と移民社会の課題の関連性も指摘されているところであり、これらの課題全部を含めて取り組む必要があり、切り離して考えられるべきではありません。細分化して切り離した時、背景や構造が見えにくくなり、嘘の解決(false solution)に振り回されることになります。
息を長く保っての作業ですが、女性に対する暴力をなくせるという信念があるかないかで、できる支援の幅も変わってきます。

法改正と社会改革の必要性 すべての人の生存と尊厳が支えられる制度設計を。 
 性暴力の特質を踏まえつつも、普遍性も兼ね備える必要があります。サバイバーと名乗ること、届け出ることの当事者にとっての意義もリスクも改めて考えていただければと思います。そして、性暴力とは何か、どのように正義を実現するか、性的虐待、性買売に目を向けることも必要です。
 自己決定を尊重するとともに、自己決定は構造的暴力の前では無力であり決定さえできないこと、にもかかわらず自己決定が悪用されていることの危うさと、自己決定が持っている本来の意義を深めていく必要があります。

まとめ
 サバイバーであることを口にしたことで人生が良い方向に向かうよう、私たちの仕事がそうなることを目指したいです


(2012/08/05司法福祉学会・分科会用)
すぺーすアライズ 事務局長 鈴木ふみ
allies@crux.ocn.ne.jp
<要旨>
 性暴力被害者対応については近年のワンストップセンターの設置等やっと支援が可視化され、政策課題となりつつあり歓迎すべきである。ただし、支援の機能化や制度化や専門分化は、被害者の分断や、構造的問題として性暴力を許さない社会を目指すレイプ・クライシス・センター運動の志の稀釈化など、新たな課題をもたらす。また、被害者を遠ざけている支援の変革が必要であるが、同時に、話さない権利、支援されない権利を認め、支援されたくないサバイバーも含めたすべての人が生きやすい社会が目指されなければならない。これらの課題を、海外の事例や国際文書等を参照しつつ、みなさんと考えたい。

司法なのか、社会サービスか
性暴力対策を考えるとき、政治体制や経済制度を話題とするわけではありませんが、大きく関わる問題です。貧困や差別をどうなくしていくか。そのために政府の義務は何か、を切り離して考えることはできません。
この点、アメリカ合衆国カリフォルニア州では、1979年に社会福祉局(DSS)から刑事司法計画事務所(OCJP)に担当が移行しましたが(Nancy Matthews, “Feminism clashes with the state: technical choice by state-funded rape crisis centers”)、この様な変化は、予算、活動方針、活動体内人事に影響を及ぼしました(Nancy A. Matthews "Confronting rape : The Feminist Anti-Rape Movement and the State”など)。

サバイバーはどこにでもいる
さて、この場にも性暴力の被害に遭われた方は多いでしょうし、実際私自身もサバイバーですし、そうでない方もご本人からそのような告白をされたこともあるでしょうが、されないことも多いと思います。サバイバーにまったく、または、ほとんど出会ったことがない、とお思いの方がいらっしゃいましたら、実はいままで多くのサバイバーに会っているはずということに気が付いていただくだけでも、この課題に対する考え方が変わるのではないかと思います。ちなみに、性暴力の実態を把握することは大変難しく、私自身も幼い時の被害経験については20代半ばまで記憶の隅に追いやられており、もし20歳頃にインタビューを受けたならば被害体験は「ない」と回答していたと思います。ダイアナ・ラッセルの調査(『シークレット・トラウマ』)では、アメリカ合衆国では3人に1人か2人に1人の女性が性虐待の被害体験があると回答し、WHOの報告書(「暴力と健康について」2002)でも最大3人に1人が最初の性交が強要によるものであったとのことです。
しかし、多くの場合、その被害を打ち明けること、さらに支援を求めることは多くなく、だれにも言「わ」ない、言「え」ない、信用できる人にだけ話すことがむしろ「常識」かもしれません。詳しくは、たとえば、内閣府男女共同参画局の調査をご覧ください。被害を受けた女性の約7割はどこにも相談していないと回答しています。性暴力被害を明示しての医療の利用や捜査機関への被害申告については、その利用しにくさが指摘されており、諸国でその改善のための取り組みがなされ、日本での「ワンストップセンター」の動きもその一つとして評価できますし、「利用したい」被害者が利用しやすくする、利用を困難にする障壁を取り払うことも必要です。後でお話しする、医療や捜査という役割を超えた支援者の存在、支援者が社会に踏み出すこと(アウトリーチ)、ソーシャル・アクションを含めて被害に対する社会的偏見の除去等も必要ですが、それでも状況はすぐには改善しないでしょうし、またそれでも医療や捜査等の公式な支援を求めない被害者は多いままでしょう。Debra Patterson他によるUnderstanding Rape survivors’ decisions not to seek help from formal social systemsという論文には、被害者が「自分を守るため」支援を求めない過程の分析がなされています。この論文の末尾は、ソーシャルマーケティングアウトリーチが提言されていますが、必ずしもこれらによってすべてのサバイバーが支援を求めて公式な窓口に登場できるわけではないし、サバイバーにそうすべきと誰も言う資格はありません。私も含めて少なからぬサバイバーが警察に行くことを考えず、自分の体に何も起きなければ医療に行かなくて済むと考えましたし、警察に良い思いをもっていない人は今助けてほしいと思わなければ警察にかかわりたくないと本能的に思う人も多いのではと思います。さらにコントロールされたくない、ほうっておいてほしいと思うことが保障されてもよいと思います。いずれにしても、被害にあっても生きていかなければなりません。そのためには生きることが保障されなければなりません。話さない権利、支援されない権利を認め、支援されたくないサバイバーも含めて保護されるためには、性暴力被害があるかどうか聞かれず、性暴力被害者が傷つかない、性暴力被害者が生き延びられる制度と環境が必要です。最低生活を保障し、できない就労を強制されたり交換条件にして福祉を打ち切られないことも必要です。また、家族に依存する社会保障制度もサバイバーに冷たい制度です。家族に依存する社会保障制度は性別役割分担を強化し、女性の負担と貧困を増やす原因となりますが、それだけでなくとくに親族間での被害を受けたサバイバーには福祉をあきらめさせる機能を持ちます。また、自身でのコントロール感を回復するため、自分にかかわることはいちいち同意を取ってほしい、とくに医療において医療側の価値観での「扱われ感」を減らしてほしいと思います。セクシュアルリプロダクティブサービスの無料化もこの解決につながるかもしれません。性暴力の被害を受けたことを言わなくても生きていけることが保障されることが必要です。
医療や警察は被害者についてのステレオタイプを抱えており、そこから距離が遠いサバイバーは支援から遠ざけられ、声さえ聞かれません。医療や警察にとって扱いにくい利用者、適切な支援がないために、または必死で助けを求める気持ちから「援助交際」にかかわり性産業の餌食になり、いわゆる社会問題や非行や犯罪に陥ってしまった人の中には、性虐待のサバイバーが多くいるはずです。たとえば、児童自立支援施設での調査では、性被害体験がある利用者は男性で23%、女性で81%(平成19年度)、厚生労働省科学研究「児童思春期精神医療・保健・福祉の介入対象としての行為障害の診断及び治療・援助に関する研究」では、過半数が強姦被害に遭っているという実態も確認されています。このような、さまざまな各窓口が感度を上げていくことが必要であるとともに、それでも「言わない」サバイバーにどう向きあえるか、このような支援を組織や制度が無駄と考えずに位置づけていく取り組みも求められます。
これらをかなえるには、被害申告した人だけに被害者サービスや公費負担を与える制度は見直しが必要でしょうし、これらは国連・社会権規約女性差別撤廃条約に規定された必要な保健サービスへのアクセスの妨害の除去も必要です。その裏付けとなる予算も必要です。性暴力という枠組みではなく、中絶の利用、性感染症の治療等、セクシュアルリプロダクティブサービスの利用者としてだけ登場するサバイバーもたくさんいます。リプロサービスについては悪用を懸念する人もいますが、むしろリプロサービスが高価でアクセスしにくいことこそが問題です。
刑事事件の被害者のための制度、「被害者」支援の問題、「性暴力」問題という枠づけられた問題解決では限界があり、制度へのアクセスを高めることは必要ですが、それだけでは不十分です。誰もが生きるために必要なサービスを屈辱を受けずに利用できることが必要です。
性暴力被害という面以外のマイノリティが自身のことを名乗らなくても、利用しやすいよう考えていく必要があります。例えば自身のことを名乗っていないレズビアンのサバイバーにパートナーのことを聞く際「旦那さんは?ご主人は?」と尋ねれば、大きな疎外感を感じ、自分のことを話す勇気がくじかれてしまいます。
「言う」「言える」サバイバーと「言わない」「言えない」サバイバーの格差をどうなくていくか、それは「犯罪被害者」支援という枠組みで充分なのか、被害者に対する社会福祉サービスに広げれば足りるのか、それとも社会全体のユニバーサル・デザインなのか、検討される必要があります。
サバイバーにやさしい医療や社会保障は、全ての人にとっても利用しやすくなるはずです。

社会の仕組みに焦点を当て、性暴力を「なくす」ことを目指すこと。
全てのサバイバーが支援を受けられることが必要であり、支援が届きにくいところにいかに支援が届くようにするかという視点が現実問題として重要ですし、公的資金はこのような課題にこそ重点的に充てられるべきです。同時に性暴力が起こらない社会を作ること、なぜ性暴力被害の男女比が極端に女性に被害が多いのかという根本的原因に対して、つまり社会構造に焦点を当てて常に変革を求める運動が必要です。被害者対策、被害者対策だけを、社会の中から切り取っての、バンドエイド的な対応も必要なことですが、これがすべてではありませんし、どの支援機関もこの役割に限定されてしまうことは危険です。世界中の多くの強姦救援センター(RCC)が性暴力のない社会を目指したキャンペーン(例えばspeak –out運動や”Take back our nights”)を、この時期に思い起こす必要があります。また、このような集団・グループは、男性社会での生きづらさから社会の構造的問題を突き止めて改革を目指すCR(意識高揚グループ)等の活動に基づき誕生したものが多く、暴力の構造的原因としての力関係・上下関係を避けて平等な組織を目指して、自分たちの中で現存の男性中心社会とは異なる社会を実現しようと実践しました。その成果として性暴力についての法律の変革もありました。
性買売は、同じ視点からなくすことが目指される必要がありますし、性暴力とは何かという根本的問題に常に意識を向ける必要があります。

今起きている流れの留意点
支援の枠組みとして、従来からの強姦救援センターや電話相談での地道な活動に加えて、日本でも昨今ワンストップセンターの設置が脚光を浴びています。1箇所でサービスが利用できる意義を評価し、また被害者が利用できる機関が増え、顕在化することは評価しつつも、このような時期だからこそ、被害者や潜在的被害者の側から、改めて性暴力被害者対応について原点から再検討し、また、社会問題の政策化の過程の中で、どのような変化を求められ、それによってどのような長所と短所があったかを振り返り日本の今後の展開につなげる必要があると思います。とりわけ制度化(institutionalization)は欧米では強姦救援センターの当初の目的や役割の変質を否が応でももたらし、日本での展開でもこの課題の検討は重要です。制度化は他の分野でも共通しているものの、性暴力被害は医療や捜査など専門的で機関や資格によって独占されている分野について被害者のニーズを結びつけることが必要であり、折り合いがとくに難しくなります。また、心理的支援について、必要としている状況はあるものの、これが被害者支援にどのような位置づけとなるのかも検討が必要です。ただし、この分野に限ったことではありませんが、社会変革を求めずに被害者を社会適応させ、声をカウンセリングルームに封じ込めるためのカウンセリングの利用され方には注意が必要ですし、被害者支援がそのような枠に限定されることは危険です。
多くの先進国では、1970年代に女性活動者らによる強姦救援センターが設置され、その後、性暴力を社会問題と位置付けることに一定程度成功し、国や州の制度の中で性暴力の課題を政策課題とさせることに成功しましたが、他方で、政府やこれまで被害者の「扱い」について非難対象だった医療や警察と距離や関係をどのように保つかについて困難な問題を抱えることになりました。詳細は、『Rape Work: Victims, Gender, and Emotions in Organization and Community Context (Perspectives on Gender)』 (Patricia Yancey Martin著)や『Feminist Organizations: Harvest of the New Women's Movement (Women in the Political Economy)』 (Myra Marx Ferree, Patricia Yancey Martin著)、『Remaining radical?』(Rebecca Campbell他著)などをご参照ください。イギリスでは、SARCs(sexual assault referral centres)は官制ワンストップが制度として位置付けられたため、被害申告をした被害者とそうでない被害者のサービスへのアクセスの格差、制度としてのジェンダー中立ゆえ女性に対する暴力としての位置づけ(女性であるということで被害者となった、身近な間柄で女性であるがゆえに暴力を行使された等、性暴力の構造的問題には接近できず)、女性のニーズや社会の中でのおかれた状況や困難に対応できず、その結果女性を充分に支援できないという問題も起きています。とくに、このような機関では、社会の周縁に追いやられた女性たち、家族内や身近な間柄での性暴力の被害者が、ふるい落とされてしまいがちです。  
また、制度化の潜在的限界として、政府の義務として性暴力を防止し被害者を支援する責任があり、性暴力被害者支援に必要な資金は政府が負担すべきですが(CEDAW・国連女性差別撤廃委員会一般的意見28等)、政治の新自由主義化や保守化は、被害者支援に利用できる資金を削減させる、または使途を限定する傾向にあります。そのような制約によってもっとも被害をこうむるのが、支援が行き届くにくい人たちや社会的な排除を受けやすい人たちです。そのデメリットを食い止めるため、選挙での公約にさせること、一度獲得した資金を後退されないよう法律的枠組みや中期計画を策定させる等の運動が必要ですが、制度化された機関はそのような危機と隣り合わせで活動をしなければなりません。 
また、警察では被害者は被害者としてだけではなく証人としての地位を除外して利用することができず、かかわる側も証人としての部分については厳しい対応が必要となり、また医療機関でも、患者としての部分については尊重されるものの、患者としての症状以外の部分については医療機関の役割ではないとして除外されがちであり、被害者の側にできるだけ立ち、二次被害をできるだけ防止することは必要ですが、役割葛藤は不可避であり、被害者の側に完全に立つことは期待できない役割にあります。とくに警察の場合、被害者の立場と証人の立場は相いれないものであることも多く、警察において被害者対応の取り組みを促進する必要性は高いものの、捜査機関である警察が被害者支援の中心を担うことは、被害者のニーズを機関の都合で絞ったり、被害者が警察のニーズに合わせなければならなくなるためあまりお勧めできません。
また、役割を中心にした集団では、国家からお墨付きを与えられた有資格者は先生と呼ばれたり、地位や権限が偏ったり、給与格差が生じています。また対外的に代表や組織構成が明確でなければならないため、上下関係がある組織が求められがちで、このような組織の中で被害者のエンパワメントとは緊張関係にあるだけでなく、当初のRCC(強姦救援センター)が求めていた社会変革の価値観からも離れていくことになります。
それだけでなく、制度の中での支援は、社会全体の支援者の育成・教育に社会資源が充てられ、民間団体に資金がないという状況を改善しない限り、民間団体で育てた人材が公式機関に吸収され、また、新規の人材を公式機関に独占されてしまい、民間のRCC等の力を奪いかねないという恐れもあります。その結果、徹底的に被害者の側に立つ存在は制度の中では影が薄くなってしまいます。
最近、日本の支援業界で使われている、切れ目のない支援はベルトコンベアとは違います。支援者にとって都合がよい支援ではないはずであり、「したい援助」ではないはずです。ワンストップについても、サバイバーのとどめ置き、関所であってはならないし、そこを通らなければサービスに行きつけないとしたら、本末転倒です。
専門性を高め、被害者に役立つ知識が増え、経験が深化することは重要ですが、専門分化によって、問題が細切れにされ、その狭い専門分野での解決方法を最善のものとみなしてしまい、構造的問題を見ないふりをし、表面的な課題にしか対処できなくなるという問題にも気を付けなければなりません。分析しつつ統合し構造を変革する力が必要です。細分化されたままだと、本質が見えません。

性暴力に対応できる看護職であるSANEや性暴力被害者対応チームSARTもさまざまな発展をしています。RCC的SANE(性暴力被害者支援看護婦(師))があり、医療的専門知識を有しつつ、医療機関の利害ではなく被害者の気持ちとニーズに寄り添い、RCCの機能の一部として動いているSANEがあります(政府から独立したRCCや、制度化されているものではカナダのBC州等)。他方、たとえばアメリカ合州国では医療や捜査という公的役割・機能の中に法医学の領域を重視したSANE(examinerの要素が強い性暴力被害専門看護検査官)の役割・機能が期待されており、司法省の犯罪被害者向けプログラム(U.S. Department of JusticeのOffice of Justice ProgramsのOffice for Victims of Crime(OVC)のプログラム)として実施されています。そのようなアメリカ型の場合では、例えばいかに起訴率を上げるか、から設計され、その観点から評価されています(例えば、『testing the efficacy of sane/sart programs do they make difference in sexual assault arrest & prosecution outcomes? 』 M.Elaine nugent-Borakove他)。
ワンストップセンター自体、どのような運用をするか、また、他の制度との兼ね合いで、機能するかどうか、被害者に役に立つかどうかが決まると思われます。警察による機能や運営を中心とすることによって利用資格が限定されがちですし、医療機関では患者であることがすべてではないはずですが、患者としての部分以外は置き去りにされがちです。本来の機能と役割は担われる必要があり、必要なのはサービスの多元性です。その中でも、きわめて重要でありながらも、軽視されがちなのが、被害者の側に徹底的に立つ支援者です(これについてアドボケイトと位置付ける人もいます。)。このような支援者はその役割や、役割のために必要な支援期間が限定されず、被害者の表面的な「自立」というより、むしろエンパワメントを目指す存在が必要ですが、それには警察や医療機関に属している存在ではない、むしろそれらの機関の使命を負っていないことが必要ではないかと思われます。

サービスの普遍性
 以上述べたように、サバイバーがどこにでもいるという普遍性から、潜在的利用者の存在を前提としたユニバーサル・デザインが必要です。対象者を刑事事件利用者に限るかについて、私はそのような限定はすべきではないと考えています。また、マイノリティ、社会的な脆弱な被害者が利用しやすいことも必要です。
 また、身近な人からの加害について、的確な対応できることも必要です。日本をはじめ性犯罪・性暴力被害者対策は、「なぜか」見ず知らずの粗暴な加害者からの性暴力を前提に組み立てられているようですが、性暴力とは何か、支援をする社会サービスが強姦神話の影響を受けていないかという視点から点検が必要です。 
また、利用者の普遍性に対応して、提供者の普遍性、担い手の普遍性も求められます。確かに専門性が高い集中拠点ももっと必要ですが、どの医療機関でも、サバイバーが傷つけられず、最低限の必要な医療サービスを利用できることも整備される必要があります(NY州ではSARTがない病院でもレイプキットが常備されています。守屋典子『NY州におけるSART調査報告』)。医療現場でも普遍的サービスとの両立は可能なはずです。SANEやSARTもこのような位置づけの中で、活躍の場が広げられるべきです。
 運用の主体との関係では、これまでお伝えした留意点を意識しながらも、新しい公共をどのように考えるか(安上がりな民間の酷使による支援との非難あり)、被害者に寄り添う支援に実績があり実現が可能な民間の支援団体が政府の資金で活躍できる仕組みを作る必要があり、民間RCC機能と位置づけを積極的に改めて位置づけ直す必要があります。

サービスの内容と構築
また、サービスの内容と構築について、まずは、リプロダクティブ・ヘルスサービスとの一貫性が必要です。暴力の課題と身体や健康の課題の結びつきについて深く考えるべき政策立案者自体に理解が足りないことや、国によっては保守勢力や宗教原理主義的な理由等で、緊急避妊、中絶(とくにメディカル・アボーション)、HIV感染予防等の一部が欠けているサービスしか提供できていないことがあります(日本での被害女性の妊娠への支援の不足(物理的・経済的問題も含む)については小宅理沙『犯罪被害女性の妊娠に対する支援の実態と今後の課題』等、NY州では2003年法改正により緊急避妊についての情報提供が義務化)。当然ながら、提供できるサービスの包括性(『Responding to sexual assault victims’ medical and emotional needs』Rebecca Campbell他)は、利用者が利用しやすいためには必要であり、ワンストップというならばこちらをまず実現すべきで、中絶手続きの利用ができないワンストップセンターなどという語義矛盾は、まずもって優先して解消されるべきです。
また、日本では被害者支援の中で司法における被害者保護については一定の進展はありますが、これに比べて(司法以外の)中長期支援と社会福祉サービスはこれからの課題が山積しています。司法との連続性を重視して充実すべき支援と同時に、司法制度とは切り離して被害者のニーズを満たすべき支援の双方が強化されるべきであり、それぞれの必要性の位置づけが検討されるべきです。
司法との関係では、特に子どもや障がい者等特別のニーズがある場合の対応や司法面接の採用についても進められるべきです。
連携のありかたについても、さまざまな支援がかかわる場合、有機的連携が検討されるべきであるとともに、守秘義務の問題、専門者間の馴れ合いの問題など、緊張感をもって扱われる必要があります(前記守屋氏の報告では、NY州ではチームの議論はせずCA州では議論や情報交換が盛んとのこと)。アウトリーチとサバイバーの安全の検討も必要です。
予算と府省縦割りの矛盾の解消や支援の枠組みについての法制化の意義についても課題です。

さらなる課題 大きく背景となっているグローバリゼーションを見抜く力が要る。
暴力の背景と解決を困難にする背景には、世界規模の貧困問題や女性差別の課題があり、これに伴う人の移動があります。性暴力被害者対応の国際水準とともに、国際化の中の人権を考える必要があります。たとえば韓国の性売買禁止法について、日本への影響を検討する必要がありますし、パレルモ議定書に記載されているとおり、性目的を含めて人身取引の根本原因には貧困がありますが、国際人口移動のなかにも貧困や格差を原因とするものが多く、これらを解消しないと女性に対する暴力はなくなりません。犯罪と貧困との関係については慎重な分析が必要ですが、例えばスウェーデンでは、性犯罪と移民社会の課題の関連性も指摘されているところであり、これらの課題全部を含めて取り組む必要があり、切り離して考えられるべきではありません。細分化して切り離した時、背景や構造が見えにくくなり、嘘の解決(false solution)に振り回されることになります。
息を長く保っての作業ですが、女性に対する暴力をなくせるという信念があるかないかで、できる支援の幅も変わってきます。

法改正と社会改革の必要性 すべての人の生存と尊厳が支えられる制度設計を。 
 性暴力の特質を踏まえつつも、普遍性も兼ね備える必要があります。サバイバーと名乗ること、届け出ることの当事者にとっての意義もリスクも改めて考えていただければと思います。そして、性暴力とは何か、どのように正義を実現するか、性的虐待、性買売に目を向けることも必要です。
 自己決定を尊重するとともに、自己決定は構造的暴力の前では無力であり決定さえできないこと、にもかかわらず自己決定が悪用されていることの危うさと、自己決定が持っている本来の意義を深めていく必要があります。

まとめ
 サバイバーであることを口にしたことで人生が良い方向に向かうよう、私たちの仕事がそうなることを目指したいです